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作者不明

出会い

忙しい毎日ですが、ちょっと立ち止まって自分の生活をふりかえってみましょう。あわただしく行き交う車でさえも、信号では止まります。わたしたちの生活の中にも立ち止まる瞬間があってよいと思いませんか。しかし立ち止まって何をするのでしょうか。わたしたちの生活の意味について考えるのです。ちょうど、ドライバーが行先を道路の要所で確認して行くように。ではわたしたちの行先を考えてみましょう。

 

生活のパターン

わたしたちは日常生活で種々のグループに所属し、そのメンバーでありながら、何となくみたされず、孤独に思えるときがあります。知り合いは多いが、真の友と呼べる人は少ないということでしょうか。そればかりか、自分に対しても満足できないことさえあるでしょう。

ところで、宗教と言えば、時代遅れのもの、迷信、現代人には関係のないこと・・必要なのは金だけ・・。宗教を持つことは社会からの逃避であり敗北であるといったように受け取られているのが一般のようです。宗教はまた強制であり自由の束縛であるとも考えられがちです。あるいは哲学や思想のように勉強するものと考えられていることもあります。じっさいわたしたちの生活のおもな部分は、仕事、遊び、睡眠で占められていて、もし宗教がそこに顔を出すとしたら、結婚式とか葬式のときぐらいでしょうか。宗教を単なる儀式としかみていない現代にあっては、当然のことかもしれません。そこには礼拝されるべき神や仏が不在だといったら、いいすぎでしょうか。しかし、宗教には生きる神の実在が前提となっているのです。

 

出会いと生活

宗教とは何でしょうか。宗教は根本的に出会いなのです。神との出会い、そして人間との出会いです。生ける神は毎日私たちと出会いたいと考えておられます。日常生活のよろこび、希望、悩み、苦しみ、日常のごくあたりまえのことがらにおいて、神は私たちと分かち合いたいのです。また、私たちは毎日多くの人々と接触し、そこで本当は人との出会いの機会を持っています。ですから、宗教と生活は別なものではなく、同じものなのです。

 

出会いとは

ここで出会いということばを考えてみたいと思います。"出" "会い" というように、会う前に出なければなりません。自分から出るのは勇気がいります。自分の殻に閉じこもらないで、神に対してでも人に対してでも、自分という殻から出て相手の中に飛び込まなければならないので、ある人にとってはこわいことなのです。けれども飛び込んで初めて会うことができるのです。そして、この出会いこそが、わたしたちの生活の中でいちばんすばらしいよろこびとなるのです。いままでの自分の生活は、この点でどうであったでしょうか。“冒険の彼方によろこびがある”これが人生の鉄則です。

 

出会い ~神との~

神と出会うには祈りが必要です。祈りの中でわたしたちは神と出会います。祈りとは神との出会いです。

祈りには種々のタイプがあります。まず、日常のことばで神と話します。敬語を使う必要はなく、親しい友に語りかけるように、何でも思いのままに述べればよいのです。また、自分の生活について神とともに考えるならば、これもすばらしい祈りになります。そのとき、わたしは一人で生活するのではなく神とともに生活するのです。ことばのない祈りというのもあります。友達と登山するときのことを考えてみましょう。初めは話しながら登って行きますが、次第に口数も少なくなり、ただ山を登ることだけに専念し、やがて何も語らなくなるでしょうが、頂上をきわめた二人には語るにまさるよろこびがあり、そこで心からの出会いがなされています。祈りは出会いですから、このようにことばのない祈りもあるのです。日常生活において、職場で、教室、家庭で、どこで何をしていても、ビールを飲んでいるときもテレビを見ているときも、わたしたちとともにある神のことを瞬間的にでも思い出すなら、それはすばらしい祈りとなるのです。

 

出会い ~人間との~

わたしたちは多くの人の中で生活しています。けれどもただそばにいっしょにならんでいるというだけでは出会っているとはいえません。知り合いは多いが友人は少ないというわけです。出会いはまずその人を"知る"ことからはじまります。学校の勉強のような知識ではなく、その人が深くわかるように、その人の気持ち、望み、経験、心のあこがれは何かを考えてみることです。そのためには相手の中に飛び込んで行かなくてはなりません。良い意味で相手の気持ちを引くことです。相手の遠慮をとりはらい、話し合いたいと考えるような状態をつくりだし、ともに分かち合おうとすることです。いままでどうだったでしょうか。自分自身についてはよく考えたでしょうが、他人のことはほとんど考えなかったのではないでしょうか。相手を少しでも理解できたら、今度は相手の身になって考えてみましょう。"共感"するのです。共感するとは相手の気持ちを分かち合うこと、よろこび、望み、何でも同じ感情を持って分かち合うのです。こうして "知る" ことと "共感" する事によって、人間との出会いがなされます。

 

よりよく出会うために

神との出会い、人間との出会いの意味を正しく把握するには(宗教は単なる学問ではありませんが)ある程度の勉強はやはり必要です。しかし、第一は神との出会い、第二は人間との出会いであって、勉強は第三のもの、先の二つがわかるためのものです。

 

出会いと自由

宗教が出会いであるという観点からすれば、宗教は自由ということになります。ここでいう自由とは、何でもよいということよりも、強制されるものではないということです。出会いは強制によるものでなく、互いに相手と分かち合う愛によるものです。愛は強制ではなく自由によるものです。ある女性がピストルをつきつけられている男性を愛せよといわれても愛せないようなもので、その女性にとって愛せよという言葉は意味のないものです。自由がなければ愛はなく、愛がなければ共感はなく、共感がなければ出会いはなく、出会いがなければ宗教はないのです。したがって、宗教はわたしたちの自由を奪うものではなく、尊重するものです。

 

出会いのすすめ

宗教が生活における神との出会い、人間との出会いとなると、出会いを取り持つものがなければなりません。宗教は強制されるものではないのですが、取り持つ人のすすめが必要の時があります。たとえばお見合いのとき仲人は男女の出会いを取り持ち、お互いに好意を持つようなら交際をすすめようとするのに似ています。

 

~すすめ~

(1) 毎朝 次のような祈りをしてみる。「神様、わたしがよりよい生活ができるように、わたしと今日一日の生活を分け合って下さい。わたしのよろこび、希望、苦しみ、悩み、この一日の仕事、勉強、遊び、すべてを、わたしと分け合ってください。」

(2) 今週中にわたしのまわりの一人を選んで、"知り" ~相手を理解するように努力する。また共感し、相手に分かち合いのことばをかける。

  

ようこそ!

ここで、少しでもイエス・キリストの光を見出し、

この光によって照らされるならば、幸いです。

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